濡れた髪を乾かして、歯を磨いて、あとはもうふわふわに眠ってしまうだけ。銃弾をつめたリボルバーみたいに次から次へと彼に話しかけてようやく口も疲れた頃で、相槌を打ってくれていた彼も段々言葉数が少なくなってくる。柔らかく微笑んで「おいで」なんて言われてしまえばもう打ち抜かれたも同然で、がっしりとした彼の腕の中に飛び込むようにしてベッドへ倒れ込んだ。ちょっとだけ驚いたような彼は大げさに笑って、それから二人揃って欠伸をしてしまってまた笑った。大きなタオルケットを二人で分け合って、くたくたのその肌触りに包まれて意識を沈めてゆく。こうして二人でだらだらと過ごすのが私はとてつもなく好きだった。多分だけど、彼も。

安い家賃の割に広い彼のワンルームのアパートはひどく殺風景だった筈なのに、いつの間にか私が持ち込んだ私物で誰の部屋かわからなくなっていた。ピンク色のブランケットとか、お揃いのマグカップとか、お気に入りのCDとか。私の服や靴だってしっかりと並べてあるし、歯ブラシやスキンケア用品も言わずもがなだ。今はもうキッチンの勝手などは彼以上に私が知っているようなもので、時々あれがないこれがないと探しているのを見かけてしまう。
彼が縛り付けられることを苦手としているのは知っていたからはじめこそ彼の領域に侵入することはひどく不安だったのだけれど、それすらももう随分と前のことなのだから私と彼も落ち着いたものだと思う。ゆっくりと、確かめ合うみたいなスピードで互いの領域に少しずつ足を踏み入れて、今ではこうして何のためらいもなく抱きしめ合って眠るようになった。波一つない海のように穏やかな夜が今夜もそっと訪れてくれることが、これ以上なく幸せだった。

「眠かー」「うんー」彼の胸元に額を押しあてるようにして密着すれば、くすぐったそうに彼が身じろぎした。大きな手が頭の後ろに回って、小さな子供をあやすみたいにしてぽんぽんと撫でられてますます眠くなってしまう。額の上に彼の吐息が吹きかかるのを感じて私も少しだけくすぐったくなった。ごまかすように大きく息を吸えば彼の匂いがして、今更ながらどこか照れたような気持ちになる。彼のTシャツも彼のベッドも彼のタオルケットも全部が私を抱きしめて、ゆっくりとほぐしてゆくような、そんな感じ。甘いチョコレートでコーティングしたケーキのようにやわらかくて、大好きで、すぐに私を嬉しくする。彼の持つ底なしの包容力は今日もこうして絶大なまでの効果を発揮して私をどろどろにとろけさせてしまった。なんて単純で幸せな思考回路だろう、そう思うけれど事実どうしようもないくらい、私は彼にほだされているのだ。同じように彼も私をその臆病な懐へと招き入れてくれていて、それがどんな愛の言葉を囁かれるよりもずっと私には価値のあることだった。無防備な腕の中へ無防備に飛び込んで二人で溶けるように眠る、それだけで結論はいらないような気さえした。

自分の吐息がだんだんと規則正しく吸って吐いてを繰り返すのがわかって、眠っている時と大差ないそれに彼も気づいたのか「もう寝よったと?」と小声で尋ねられた。すっかり眠ってしまいそうな脳みそを叩き起して、ううんー…と唸ってぐりぐりと首を振ってまだ起きていることを彼に伝える。彼もまた眠ってしまいそうな低い声でぼそぼそと呟いて、タオルケットごと私を包むように抱きすくめた。


「…おまえさんは猫のごたね」
「えー……そーかな」
「そーばい」


おそらく、そんな会話だったと思う。半分くらい眠気に侵食された頭では気の利いた返事を返すのが難しくてずいぶん間の抜けた声を上げたけれど、彼はさほど気にしないだろう。彼の声も眠さの混じったふわふわとしたトーンだったのだから。本当は知らないうちにどこかへ行ってしまう彼の方がずっと猫らしいと思えてなんだかおかしかった。とろけたチョコレートで私を縛り付けて、そのくせ時々はこの部屋を空っぽにしてどこかへいなくなって、かと思うと何でもない顔をしてまた私のところへ戻ってくる。つかみどころがなくゆらゆらと揺れる彼はずいぶんと意地悪で気分屋だ。だけれどそんな困ったところさえもう全部愛しいのだから仕方がない。高カロリーなケーキだろうと何だろうと、胸やけしたって食べ尽くしてしまえばいい。

それからはもう二人の間に会話らしい会話はなくなって、瞳を閉じた真っ暗な世界で互いの呼吸だけを静かに拾い上げていた。すう、すう、小さく繰り返す音はすぐそこに彼が息づいていることをはっきりと感じさせて、揺り籠のようなやわらかさで私を包みこんだ。




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