耳をすませばを見たら、急に千歳に会いたくなった。そう言ったら千歳は笑うだろうか。だけど本当にそうなのだからどうしようもない。どうしようもなく千歳に会いたくって、その大きな手で私の手を握ってゆっくりと隣を歩いてほしいとか、やわらかい声で私を呼んで目を細めて笑ってほしいとか、そんなことばっかり考えてしまう。ぶくぶくと泡をつくってははじけさせるサイダーみたいな、そんな気持ち。つぎつぎと気持ちが浮かんでは消えて仕方がないので、とりあえず電話をしてみることにした。いったい今何をしているんだろう。いつも通り散歩かな、ちょっと遠出して電車に乗っていたりして。将棋を指しに行ってるのかもしれないし、あの狭苦しい部屋でお昼寝なんかしているのかも。今日は部活は休みだって白石が言っていたなあ。この電話に気づいてくれたらいいけど、そんなのは3回に1回の確立だ。そもそもケータイなんて千歳にとっては有って無いようなものなのだ。部屋に置きっぱなしで出かけてしまうこともしょっちゅうだし、充電されていなくて連絡しても繋がらないこともよくある。メールの返事だって次の日に返ってくればいいほうなのだから、千歳を捕まえるのは難しい。それでもその黒い携帯電話には私と色違いのストラップがくっつけられているんだから、そういうところがずるいなあなんて思う。そんなことを悶々と考えながら、10回目の呼び出し音。


「……もしもし?」
「わっ、出た」
「俺だって電話くらい出るばい、失礼ったいね」
「そうだけど」


不機嫌そうな声がおかしくってつい笑い声を洩らすと、なに笑っとーと、なんて咎められる。少しだけ口をとがらせて子供っぽい表情をしているんだろうななんて思ったらまた笑えてしまう。あのね、千歳。そう言ってたたみかけるように切り出せば、相変わらずうんうんって丁寧に相槌を打ってくれる。なんだかんだで私のペースに合わせてくれるのが心地いいのだ。「今何してるの?」そう聞きながら部屋のレースのカーテンを開けてみた。強すぎる日差しが直接ギラリと差し込んでおもわず目を細める。たまらなくいい天気なのが嬉しくって、なんだか外へ出かけたい気分だなあと思った。


「将棋ば指してきた帰り道ばい」
「集会所のおじいさんたち相手に?」
「や、今日はお孫さんも一緒に来とったけん、教えてやっとったとよ」


カラン、カランと、電話越しに千歳のはいている下駄の音が聞こえてきた。今日は暑かねーなんて暢気に言う声にそうだねと返しながら、出かける準備をさくさくと進める。クローゼットからお気に入りのワンピースを引っ張り出して、壁に掛けてあるネックレスの中から今日はどれにしようかなんて悩んでみたりして。暇つぶしに塗ったペディキュアのつるんとした青色もなんだか嬉しそうにしているように見えて、買ったばかりのサンダルをはいて出かけようかなあなんて思う。

千歳の世界は、案外すぐ近くにあるのだ。ふらふらと放浪して歩いては気まぐれに連絡をよこしたり、学校へ来ては授業をさぼったり、そのくせ白石に怒られて部活へ足を運んだり。つかみどころがないなんて思われがちだけれど、よく耳を澄ましてみればすぐ近くに千歳は息づいている、と思う。捕まるか捕まらないかは別として。千歳がべっぴんさんだという野良猫はよくテニス部のフェンスのあたりでごろごろしているし、彼が時々訪れる集会所は歩いてすぐの距離にある。穏やかな千歳と一緒に歩く帰り道は、一人で通ったってすぐ隣に千歳がいるみたいに思えてくるのだ。私は結構な度合いで千歳に侵食されているんだなあなんてしみじみ思う。


「そういやおまえさん、どぎゃんして電話ばかけよっと?」
「うん、あのね、」
「ん?」
「耳すま見たら、千歳に会いたくなったの」


子供か私は。そう思ったけど素直に伝えてみる。ちょっとだけどきどきするあたりは、私は千歳に恋をしてる気持ちを忘れてない証拠なのかもしれない。付き合いが長引くとどきどきしなくなるとかマンネリ化するとかよく言うし、それで悩んでいる友達もいるのだけど、私にはそれはまだ訪れていないらしかった。そもそも長い付き合いというのがどのあたりからなのかわからない、というのもあるけれど。これから私にもそんな時期がやってくるのかなあと思うと少し寂しい気持ちもするけれど、それも千歳と一緒ならいっかなんて、甘ったるい思考を巡らせてみたりする。


「そらよかねぇ」
「よかでしょ」
「ほんじゃチャリ漕いで散歩でもすっと?」
「うん!実はもう千歳に会いに行く気満々でね、即行ででかける準備してるんだよ」
「わはは!むぞらしかね」


かわいい、と千歳はよく言う。はじめは聞きなれない方言のせいでくすぐったく思えていたソレも、今くすぐったさを感じるのはしっかり耳に入ってきてしまうからなのだと思う。千歳に褒められるだけで単純な私は舞い上がってしまって、緩んだ頬を引き締めるのに必死になるのだ。一生懸命えらぶ洋服も不器用なりにがんばって塗るネイルも全然褒めないくせに、私の言動にたいしてはすぐにかわいいとか言うのだから千歳のツボはいまだによくわからない。ときどき見せる子供っぽさとか意外と甘えたなところとか、千歳の方がよっぽどかわいいとか思うときが多々あったりもするし。


「俺もおまえさんに早く会いたくなったばい」


そんな甘い文句を吐くものだから、私の心臓は簡単に跳ね上がる。今すぐ急いで会いに行って、おもいっきり抱きついてしまいたい。そうしたら絶対に千歳は抱きしめ返して笑ってくれるのだ。それから千歳のサドルの高い自転車に二人乗りして、どこへゆくでもなくひたすら突き進んでみよう。長い長い上り坂もいいかもしれない。途中コンビニでアイスなんかを買って、一口ずつ分け合ったりして。くだらないことを話しながらゆっくりと過ごして、そうやって充電するみたいにひとつの時間をふたりで食べ尽くしてしまおうね。君と一緒ならそのぐらい世界は甘やかで、見たこともないくらいのきらきらで満ち溢れているんだ、きっと。




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