「…本当なんだ」
「そう言うとるやろ」
「うん」


かちり。壁にかけられた時計の針が一分先へ進む音がした。いつもよりもずっと時間の流れがゆっくりな気がして居たたまれなくなって、もう一度机にべったりと倒れこむ。ユウジの顔を見ないようにして。

好きや、そう言ったユウジの赤らんだ顔が脳裏に張り付いている。
誰かを好きになるって、恋をするって、どういうことなんだろう。ユウジの中には小春ちゃんと私とで、人より二倍の思慕が存在しているのだろうか。人を好きになる経験や、まして人から好かれる経験なんて乏しいのだから、どんなに足掻いたって分からないのは当然なのだけど。
なんだかんだ言って、さっきまで目を合わせないようにしていたのも変にどきどきしていたのも全部向こうだったはずなのに、いつのまにか私のほうが意識してしまっていることに気がつく。不器用なのはお互い様だ。小春ちゃん、はやく帰って来て。もうちょっと生徒会してていいよ。どっちつかずなことを思っていると、ふいにユウジが口を開く。いつもよりずっと落ち着いてやわらかく解れた声が、すっと落ちてきた。


「小春がな」
「うん?」
「好きなんちゃうかって言うたんや。俺が、おまえんこと」


耳がじんわりと熱くなる。ひとつひとつ噛みしめるようにしてそう言う声には、私を好きだという気持ちがきちんと内包されていた。どきどきが見つからないように上目でユウジを見遣れば、彼は窓の外のずっと遠くを眺めている。やっぱり不器用に、私と目が合わないようにして。


「…どうして」
「…言いたないわ」
「は?」
「そこは察せや!俺がなんで自分を好きなんか!」
「わかるわけないでしょ!」


あんまり好き好き言わないでよ、なんて言いそうになって慌てて口を閉じた。トモダチなのに、だったのに、急に好きだんて言われてしまっては身の置き場がなくて落ち着かない。そのうえ彼の口から出る「好き」は普段から小春ちゃんに向けている「好き」とはなんだか違う気配がして、余計にどうしようもない。その違いが何なのか、はたまた勘違いなのかわからないけれど、小春ちゃんに対するソレと私に対するものは、ちがう気がする。説明はできないけど彼の纏う雰囲気が、やわらかい気がして。


「あの、ユウジ」
「ちょ、うっさい」
「は!?」


見んなや!という声と共に頭に触れる感触。ユウジの手がぶっきらぼうに私の頭を机に押しつけて、どうやら恥ずかしさの限界に達したらしい。


「痛い!」
「あ、」


がつん!とわりと強かに机と額がぶつかりちょっと涙目で抗議すると、今度はあわてて頭を撫でられる。なんなんだ、本当にこの人は。不器用な掌がぎこちなく髪の上を滑る。その体温が何故だかどうしようもなく愛しく思えて、もしかして、これがユウジの言う「好き」?なんて、じんじんする頭で小さく思った。好きとか恋してるなんていう甘ったるいチョコレートではなくて、大切とか、大事にしたいとか、そういうことなのだろうか。友達よりもう一歩先、くらいの居場所。だとしたら、私もユウジを「好き」ということになる、だろう。小春ちゃんに対する気持ちとの違いはわからないし、はっきりした答えも出てこないままだけれど、家族への好きや、足繁く通う雑貨屋さんへのものともちがう、そんな感じがした。もしかしたら頭を打ち付けたせいで思考回路がおかしくなっているだけかもしれないけど。


「…どうしたらいいのかな、私」
「…や、俺もわからん」
「だめじゃん…」
「せやな」


夕暮れの教室で、ぽつんと二人ぼっち。「生徒会、まだかかるかな」と小さく零すと、せやなあとぼんやりした相槌。教室に差し込む日がどんどん夕焼けの色味を増していって、なんだか取り残されたような気分になる。愛したり恋したり、どのみち子供な私たちにはまだ早すぎるらしい。ラブとライクの線引きすら満足にできやしない。

「むずかしいね」顔も見ずにそう言えば、やり場なく頭に置かれたままの手がぐしゃぐしゃと私の髪を撫ぜた。昼休みにセットし直したのに台無しだという抗議は頭の中だけにして。その話はもう終わりとでも言うように、ぽんぽんと撫でられたから。まるで子猫にするみたいな仕草で。


「とりあえずあれや、帰りにたこ焼き食いに行くで」
「脈絡ないね」
「うっさいわ」
「…うん、たこ焼き私も食べたい。行こうよ」


笑いながら顔を上げれば、今度はちゃんと目が合った。おっしゃ、と満足げに笑う顔にはもう照れも恥じらいもない。小さなどきどきは全部私にうつしてしまったらしい。ああ、なんて憎らしい。
「小春戻って来たらすぐ行くで」そう言って楽しそうに細められた瞳に、ぱちん、と心の奥に芽生えた蕾の名前を、いまは知らない。




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