購買の端にある自販機の前で笠松主将に会った。がやがやと騒がしい昼休みの音は遠く聞こえて、その喧騒の中に消えてしまいそうと思っていた時だった。ぱちぱちと瞬きをする。


「…あ」
「おう」
「おはようございます」
「おす」
「………」
「………?」
「………」
「………なんだよ?」
「いえなんでも」
「んだそれ、つーか買わねーならどけよ」
「買います」
「じゃ早くしろ、後つかえてんだ」
「レモンティがいいです」
「…」
「…」
「…早くしろよ!」
「だから、レモンティがいいですって。主将」
「ああ?」
「かわいい後輩ですよ、私」
「まさか買えっつってんのか」
「ごちそうさまです」
「買わねーよ!おらどけ」
「いたい!暴力反対だ!パワハラだ!」
「るっせえ!」


笠松主将は朝練のときと変わらず横暴な態度でわたしを無理やり自販機の前からどかすと(肩のあたりをぐりぐりと押されて仕方なしに横にずれてあげた)ポケットから剥き出しの小銭をじゃらじゃらと何枚か四角い機械につっこんでやり、がこんがこんと言わせていた。やることがないのでふと辺りを見回すと、パンのコーナーの前で何やらむつかしい顔をしている森山先輩が人ごみの中にちらりと見えた。そこそこ背が高いので森山先輩の頭だけがぴょんと飛び出て見える。


「森山先輩だ」
「あ?…ああ、」
「おはようございまーす」
「聞こえてねえだろ、それ」
「あ、でもほら、気付いた。森山先輩!」


ぱっと顔を上げた森山先輩と目が合って、途端ににっこりとほほ笑まれた。今日もご機嫌そうで何よりです(朝練でも会ったけど)。先輩は笠松主将にも目で挨拶をして、またずらりと並ぶパンたちに向き合ってしまった。よほどおなかがすいているらしい。


「私もなんか買おうかなあ、ねえ主将」
「自分で買えよ、なんだその顔」
「かわいい後輩の顔です」
「鏡見て来い」
「ひどい笠松主将、優しくない。小堀先輩くらい優しくしてください」
「おまえはアイツに甘やかされすぎなんだよ」
「小堀先輩が私を甘やかしすぎなんです」
「自覚あんじゃねえか」
「笠松主将がムチだからでしょう。小堀先輩がアメです、アメとムチです」
「どや顔すんな!全然うまいこと言ってねえよ」
「また殴る!…ってあれ、これ」
「おら、レモンティだろが」
「!」


がつん、とおでこにぶつけられたのは笠松主将の拳のかわりに冷たいアルミ缶で、相変わらずむっつりした表情のまま主将はそれをもう一度こつんと私の額にくっつける。汗をかきはじめたソレはひんやりとしてちょっとだけ額を濡らした。笠松主将の反対の手には自分用に買ったと思われるアクエリアスのペットボトルが握られていた。


「主将が優しい…!」
「この世の終わりみたいな顔で言うんじゃねえ、いらねーんだったら返せ」
「いります」
「即答か」
「主将の優しさです、いります」
「有り難く飲めよ」
「ごちです」
「おう」

「…あのね主将、私ね、私ですね」
「…知ってるよ」
「エッ私のスリーサイズですか、破廉恥です」
「馬鹿野郎なんの話だ、茶化すなシバくぞ」
「すいません」
「おまえなあ、」
「…すいません」
「早川が、おまえが最近元気ねえって心配してんだ。小堀も気付いてんぞ」
「…小堀先輩はともかく、早川に心配されるとは」
「あのバカにあんまり余計なこと考えさせんじゃねーよ、ただでさえ処理能力ねーんだから」
「辛辣…」
「事実だろ。で、処理能力がねーのはおまえもだろ」
「より辛辣じゃないですか!ひどい!」
「だからごちゃごちゃ考えんなっつってんだ…っておいなに電話鳴らしてんだよ!!」
「しょうがないでしょ鳴っちゃったんだから!ちょっとタイムアウトください!」
「駄目だ!」
「ええ!」


購買の喧騒に負けないくらいの大きな声でポケットからケータイが着信を知らせていて、ディスプレイを見ると「黄瀬涼太」と表示されていた。何故だかものすごく出るのにためらう。何とも言えない顔で主将を見上げて「黄瀬くんです」と言ったら「出て『しね』っつって切れ」と物騒なことを言われた。その間中にもずっと手の中のケータイはぶるぶると震えていて、着信音は途切れる気配がない。


「…、貸せ」
「え、…あっ」

「あ、やっと出た!もしもし先輩?おつかれっス、今ドコっスか?」
「黄瀬、しね」
「はあ!?って笠松先輩!?!?!?あれ?先輩は!?一緒にいるんスか?えっ?なに?何なんスか?」
「部室行ってろ、今から連れてくから」
「え?ちょっ」
「どうせメシだろ」
「へえ?ああ、そ、そうっスけど」
「じゃあ部室な、カギ開いてっから。じゃあな」

「いやいやいや何勝手に出て勝手に切ってるんですか。しかも私昼ごはんは友達と」
「うっせえ先輩命令だ」
「こんな時だけ!」
「行くぞ」
「教室にお弁当置いてるんですって、友達と食べるっつって飲み物買いにきただけなのに!」
「じゃ教室行って弁当取って部室で食うって言いに行くぞ」
「は、え、一緒に?主将もついて来るんですか?2年の教室まで?」
「ついでに早川も拾うか」
「まさかの超展開すぎて…」
「めんどくせえけど森山も声かけっか、小堀はまあ部室にいるだろ」
「や、主将ちょっと」
「黙ってついてこい」
「ほんとにこんな時だけ男気発揮しないでください」
「ほっといたらおまえ逃げんだろーが。逃げんな」
「逃げませ………逃げますん」
「ぼやかしてんじゃねえよ」
「逃げませんってば」
「おう、だから逃げんなっつってんだ」
「…あ、えーと、それは、その」
「逃げる必要ねえ、堂々としてろ」
「…!」


主将と目が合う。いやに真面目な顔でそんなこと言うからびっくりして息が止まるかと思った。なんだそれ、なんだそれは。

見透かされていたんだ。最初からとっくに解られていた。ちくちくと心に刺さる刺みたいなものに勝手に弱っていた私自身を。不意にみんなのそばにいる自信がなくなって、一度自分なんかと思ってしまったらもうだめでするすると螺旋の底に落ちてしまって浮かびあがれないまま、なんとなく毎日をやりすごしていたけど。たぶん、部活中も顔や態度に出ていたんだろうなあ。同じクラスとはいえ早川に心配されるくらいだからよっぽどだったんだろう。黄瀬くんも気を遣ってくれたのかな、小堀先輩と森山先輩はいつもやさしいのだけど。笠松主将なんかはこうやって人のことを引っ張り上げたり押したりするのがすごく上手くて、こんなふうに弱ったりへこんだりしたとき必ずばしっとシバいてちょっとだけ甘やかしてくれる。ほんとは私が皆をサポートしなくちゃならないのになあ、そのためのマネージャーなのになあ。すっかりマネージメントされているのは私のような気がしてくる。皆の優しさが嬉しくて、あったかくて、皆のことがすごくすごく好きだと思った。とてもつよく愛しいと思った。そんな素敵な人たちが気にかけてくれる自分のことを、またちゃんと誇りたい。チームの一員だということを大切にしたい。ふらついていた気持ちが、音を立てて元の場所に戻ってゆくのがわかった。

ずんずんと先を歩く背中に「主将」と呼びかけたら首だけでかぶりを振ってくれて、肩越しに目が合った。大丈夫、もうだいじょうぶ。そんなふうな気持ちを込めてもう一度呼ぶ。「主将!」って、大きな声で。


「好きです!」
「…ッ馬鹿野郎もうちょっとあんだろーが!」
「大好きです!愛しいです!」
「ちげーよ!!!!」




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