あー、今日も疲れた。しんどかった。毎週水曜日は大学の授業が5限までびっしり詰まっているうえに、バイトが23時まであるのだ。この日程を組んでしまったのは他でもない自分なのだけど、それでも自分が恨めしい。たとえお昼休みの後の3限の授業をちゃっかりサボったとしても、いつの間にか身体に蓄積された疲れはどこかへ行ってはくれないし。
まだ週の半ばだというのに既に心身ともにぼろぼろになった私と、似たような顔をした人たちを乗せたラッシュアワーの電車は各駅停車でのろのろと終点へと向かってゆく。5つ目の駅でようやくごみのように電車から吐き出され、くしゃくしゃになって改札口へと向かう。会社帰りのOLや制服を着た高校生たちの酷くゆったりとした足取りに身を任せるようにして、流れ作業で改札をくぐりぬけた。あ、パスモの残額が思ったより少なくなってる。そのうちチャージしなくちゃ。

相変わらずの速度でだらだらと長い階段を上って地上へあがってくると、ふうっ…と無意識にため息が零れた。さあ、家まであと15分。途中でコンビニに寄って水とアイスを買って、明日は授業が昼からだから少しはゆっくり出来るかなあ。くるくると思考回路を巡らせながらふいに顔をあげると、吸い寄せられるみたいにしてカレと目が合った。ぱちん、と、まるでお互い引きあったかのように。


「!」


人波の中に私を見つけるなりぱっと笑顔を咲かせてちいさく手をあげた、その金色。私は驚いて思わず足を止める。すぐ後ろを歩いていた人がちょっと迷惑そうに私を避けて追い越して行った。ああごめんなさいと心の中で呟くその間にも金色は軽やかな足取りでこちらへやってくる。見間違えるはずがない、涼太だ。ぱあっと辺りが眩しさを増した気がした。


っち!」


相変わらずのきらきらした笑顔を携えて、嬉しそうな声色で。ジーンズにTシャツというラフな格好でも輝いて見えるのは街灯のせいでも、私の目の錯覚でもないはずだ。疲れて歩く一日の終わりだろうと、住宅地のすぐそばにある地下鉄の入口でだろうと、お構いなしの明るさをもって私にぶつかってくる。まるで向日葵だ。


「迎えに来たっスよ」
「な、え…仕事は?どうしたの?」


しばらく忙しいって、会えないって、言っていたのに。金魚のように口をぱくぱくさせる私を見て彼はおかしそうに笑う。


「今日はちょっと早く終わったから、つい」
「つい、って…」
「駄目だった?」
「そんな、」


そんなこと、あるわけない。私も会いたかった。たったそれだけの言葉も天の邪鬼な私にはハードルが高くて喉のあたりでひっかかってしまう。「言わなくてもわかるっスよ、聞いてみただけ」って、あくまでそんな風に接してくれるから私はもう何も言わない。ごく自然に私の左手を捕まえて歩き出すから、大人しくその温度に甘えることにした。


「おかえりなさい」
「うん、ただいま」


お疲れっスねえ、と彼が小さく零す。やわらかい響きを孕んだ労いの言葉は私の耳たぶをはじいた。そりゃあね、今の私の姿を見たら思わず苦笑いもするでしょうよ。バイト先で酷使してぱんぱんになった足を引き摺って、メイクもよれよれで、いかにも「疲れました」って表情で。久しぶりに会った彼氏がまたモデルなんかやってるイケメンなものだから、みじめな気持ちにならないわけじゃあない。わざわざ疲れている時に無理をして明るく振る舞おうとか、そういう背伸びがいらないくらい長く穏やかな付き合いであるのは非常にありがたいけれど。「今日はきつかった~…」と隠すことなく呟けば、「お疲れさまっス」と彼が微笑う。


「涼太も忙しいんだもんね、お疲れさまだねえ」
「そっスねえ、嬉しい悲鳴っスけど」
「明日は何時から?」
「10時からだから泊まっていい?」
「…そのつもりで来たんでしょ」
「うん」


適当な会話を連ねながら十字路をひとつ右に曲がる。疲れてのろのろと歩く私を気遣ってか、二人の歩調はどこまでもゆっくりだ。これじゃ15分の道のりでももっともっとかかってしまうよ。急ぐつもりはないけれど。初夏とは言え夜のひんやりした空気をかき分けながら、コンパスのちがう足でゆっくりと月の下を歩いた。涼太の長い脚では私に合わせて歩くなんて相当面倒なはずなのに、スマートに優しくするものだからますます甘ったるい。低めのヒールをはいた私の足が夜道でもかまわずにカツカツと大きな音を鳴らす。


「あ、アイス買いたいからコンビニ寄ってこ」
「そのつもりでしたー」
「さっすが。俺ガリ梨がいいっス」
「私ハーゲンバニラ」
「あーずりーっス!じゃあ俺もダッツにする!」
「ガリ梨は?」
「…買って、冷凍庫いれといて。食べにくるから」
「あははは!了解!」


絡め取られた左手で彼の大きな右の手をきゅっと掴んだ。このままどこまでも歩いて二人で夜に溶けちゃえたらいいね。それが出来ないからせめて、遠回りして一件先のコンビニを目指そう。一日中使い倒した足はじんじんするし、メイクだってお世辞にもかわいいとは言えないくらい崩れかかっているけど、そんなこと。いつの間にか疲れた表情はどこかへ忘れて大きく笑っている自分に気がついて、隣に彼がいるのならわりと無敵かもしれないと思いながら黄金色の彼を見上げる。おんなじように楽しそうに笑うから、また明日もがんばれそうだ。彼のやわらかい温度を少しだけわけてもらって、ゆっくりと休んで、知らないうちに夜は更けて明日になる。明日目が覚める時には当然のように彼がいて、おはようって、また向日葵を咲かすのだ。




inserted by FC2 system