「さっっっ、むい、」


敦くんが肩をすくめたままぼつりと零した。そのあと、ずずっとハナを啜る音。2m超の大きな体をぎゅっと丸めて教室のストーブの前に陣取る姿はなんだかかわいらしくて、隣に並んで縮こまったままうっすらと笑った。さむいねえ。


「うん、さむいね」
「まじでさみーし、意味わかんねーし、なんだよマイナス5度って、死んじゃうし」
「北海道よかましだよ」
「それでも寒いもんは寒いのっ」
「うん」
ちん寒くねえの、なんか薄着だし、つかスカートだし」
「さむいに決まってるじゃん」


そりゃあ、いくら秋田出身秋田在住とは言えさむくないわけじゃない。真冬の寒波は東北人だろうが道産子だろうが、もっと北国の人たちだって堪えるだろう。それに男子と違って女子はスカートだし。黒タイツで覆った膝のあたりをさすさすと摩りながら訴えたけれど、納得いっていないのか「むーん…」と唸られてしまった。まあ今年になって東京から越してきた身である敦くんと生粋の東北民である私とでは、感覚がまるで違うのかもしれないけど。


「今朝なんか、朝練の前に体育館前の雪かきさせられるし」
「あら」
「どうせ帰る頃にはまた積もってんのにね」
「だろうね。しかも寮生って寮の雪かきもあるんでしょ」
「うん」
「しんどいねー」
ちん代わってよ」
「嫌だよ」


敦くんは片手でホッカイロをにぎにぎにぎにぎしながら、もう片方の手でポッキーを口に運ぶ。ストーブのそばに置いているのでコーティングのチョコレートが溶けているんじゃないかと思っていたらおもむろに「あげる」と一本差し出されて、ありがたく頂戴したらそれはやっぱりチョコが柔らかくなっていた。ぱきり、口の中でポッキーを粉砕する。

窓の外は猛吹雪もいいところで、ごうんごうんと不吉な音を立てて木々やらフェンスやらをこれでもかと揺らしていた。今日は朝からこんな調子で、流石の雪国でもバスや電車の遅延のせいで大幅に遅刻する子や、もう諦めて1日休んでしまう子なんかも少なくなかった。超強豪と名高いバスケ部はそんなこと物ともせずいつもの通りに朝練に励んでいたみたいだったけど。体育会系の部活は大変だな、と人ごとに思う。
私はと言うと電車の遅れで1時限めに余裕で間に合わなかったクチで、頭のてっぺんからつま先まで雪で真っ白になって学校へ辿り着いた頃には2限と3限の間のすこし長い休み時間がはじまっていた。職員室へ遅延届けを提出して教室へ戻るとストーブの前で小さくなっている敦くんに手招きされて、こうして一緒に暖をとりはじめて早5分。ちなみに敦くんは雪まみれになった私のコートやマフラーを見るやいなや、めいっぱい顔を顰めて「うへえ」と言った。辟易する気持ちもわかるけどさ。

ちんさーあ」敦くんの間延びした声は、聞いてるとなんだか眠くなってくる。
なーに、と同じく気の抜けた炭酸みたいな声で返す。


「進路調査の紙、もらった?」
「なにそれ」
「さっき、1限んときに配られた」
「…その紙ヒコーキのことかな敦くん」
「ん」


ポッキーの箱と一緒に置かれた白い紙ヒコーキは、よくよく見ると「第一希望」だとか「学部」とか「職種」とか書かれている。きちんと折りたたまれたそれに、敦くんが何かを書きこんだ様子はない。これ提出しなきゃいけないやつなんじゃないの、と思ったけど黙っておいた。「貰ってないよ。さっき担任のとこ行ったのに、忘れられたかな」そう言うとどうでもよさそうにふーんと一言。自分から聞いたくせに、敦くんはけっこうそういうところがある。気まぐれなネコみたい。


「室ちんも」
「うん?」
「室ちんもこのまえ貰ったって言ってた」
「じゃ、全学年で一斉に調査してるんじゃない?」
「めんどくせー」
「ヒコーキ作って遊んでる子が言うかなあ」
「めんどくせーから折ったの」


今にも窓の外へソレを飛ばしそうなテンションで唸る。室ちん、というのは一つ上の学年で、敦くんの先輩にあたる人だ。半年ほど前にアメリカから越してきたのだと言って敦くんからよく話を聞くようになった。何度か見かけたことがあるけれど、すごく紳士っぽくて物腰の柔らかな先輩。「いつもアツシがお世話になってます」と言われたことがある。室ちん室ちんと敦くんが言うのでそんな感じの名前なのだろうけど、ほんとうの名前は知らない。室ちん先輩、と私は勝手にそう呼んでいる。


「3年生とか、受験シーズンだもんね」
「あー」
「私たちもあと2年したらああなるのかなあ」
「さあ?」
「模試の案内とか、そろそろ本格的に来るもんね」
「もし?あー…もし、ねえ」


俺そんなの知りません、みたいな顔をされた。そりゃあ敦くんにはバスケがあるし、勉強とか、失礼ながらまったく興味があるとは思えないし、ちょっとわかるけど。進路とか受験とか、そういうことをほのめかされると背筋が凍るのは事実だ。襟首から氷を落とされるみたいにひやっとする。気がついたらもうクリスマスも正月も終わって、冬休みもあけて、3年生たちはやれセンター試験がどうのと騒いでいる。そんな時期だ。雪だって積もる、さむいさむい時期だ。

「…さみ」隣からハナを啜る音、再び。風邪?ときいたらわかんない、と言われた。ちょっとかわいそうになって、とりあえず膝かけ代わりにしていたマフラーを首のあたりにぐるぐる巻きにしてやると少しは暖かくなったのか、敦くんはのへっとした顔であんがとーと言った。マフラーに首を埋めてきゅうと縮こまる2mの大男。敦くんが極端にそうなのかもしれないけど、東京の人って、やっぱり寒さに弱いのかな。


「敦くん、秋田むいてないかもね」
「うん、そう思う」
「…卒業したら東京戻りなよ」
「当たり前じゃん、こんなさみーとこにずっと居るなんて無理だし」
「はは、でも夏は涼しいじゃない」
「でも冬さみーのはヤだ」
「そっかあ」
ちんは?」
「ん?」
「卒業したら」


どうすんの。覗きこむみたいに敦くんが聞く。
紫色の前髪がゆらりと揺れて、その隙間から同い年のくせにずいぶん子供っぽい表情がみえた。


「国立大受けるよ。ここの。秋田の」
「ふーん」
「聞いたわりに反応薄いね」
「だって、つまんねーし」
「なんだそれ」


最後に残った2本のポッキーのうち1本を私に差し出して、もう1本は自分の口へ。咀嚼しながら「ん」とポッキーをこっちへ押しやるので、大人しく受け取る。やっぱりチョコレートはやわらかく溶けてしまっていて、くちびるにべっとりと張り付く感触がした。甘ったるくて、いつまでもそこに残るみたいな感触。


「俺は戻るよ。東京」
「…そか」
「こんなとこ居たってさみーだけだし」
「まあ、そうだね」
「金萬はうまいけど、28個も食うほどじゃねーし」
「うん」
「俺、東京に戻るからね」


私は多分だけど、ずっとここに居るよ。生まれ育ったこの地にずっと。大学に進学して就職しても、他の県へ出て行くことはないと思う。寒いし雪はひどいしたいした観光名所もないし、みんな卒業したらよその県へ行っちゃうけど。敦くんも、いなくなっちゃうけど。

そう告げたら敦くんはむすっとした顔を隠しもしないで、縋るみたいに私の袖口をきゅっと掴んで、「つまんねえの」と言った。大きな手のくせに、親とはぐれてしまいそうな子供みたいに頼りない。ちょっとだけ触れた指先は握りしめたカイロの温度を孕んでいた。大きな手の中に残ったちいさな熱が、じゅうと心臓の奥まであつくした気がした。

うん、私も、つまんないよ。私も、寂しいよ。




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