「伽羅坊、俺とじゃんけんしてくれないか?今から俺がパーを出すから最初はグーのままでいてくれ。そらいくぞ!」

 …などと白い男が廊下で会うなり言ってくるので、そもそも嫌な予感はしていた。反射的にグーを出した自分を小一時間座らせて説教したくなったくらいだ。


「いや悪いね、面倒事に付き合わせちゃって」
「…別に」
「そっか、別にか」
「鶴丸国永に上手く逃げられただけだ」
「ははは、でも来てくれたじゃん大倶利伽羅。鶴さんはあとで背中にパンチしとくから」
「是非そうしてくれ」


 政府本庁舎の果てしなく長い渡り廊下をようやく抜け出して、同伴者はやれやれという様子を隠しもせずに伸びをした。うーんと大げさな声に続き、だあああ、と盛大なため息。

 時刻は17時を回った頃だった。俺がグーを出した握りこぶしのまま鶴丸国永の肩に一発入れたのが9時、この同伴者こと審神者と並んで本丸を出たのが10時だったわけだから、たしかにうんざりするのも頷ける。
 俺は(不本意ながら)黙って後をついて回っていただけだが、こいつは…この気の抜けた顔の小娘はこれでも一応審神者であり公務員である立場上は決まった仕事があるらしく、所属先の政府庁舎に繰り出してはやれどこどこの部署に書類を提出しどこどこの部署に挨拶に行きどこどこの書庫で史料を借りどこどこの部署でまた書類を提出し…というのをひたすら繰り返していた。
 月に一度こうしてこの面倒な手続きをしなければならないようで、またそれには所有する刀剣男士の同伴も必要である、ということらしかった。

 審神者が定期的に政府庁舎に出向いているのは知っていたが、それに俺が駆り出されることはこれまでなかった。
 「近侍や外出の同伴は持ち回り制」というのが審神者の決めごとである以上は俺がこいつの手伝い仕事をする時というのはどうしてもあるが、なにかと目ざといこいつのことだ、俺がたまたまこの月次定例の同伴に当たったことがないというのも半分、おそらく審神者のほうが気を回して俺を連れて来ないようにしているというのが半分といったところだろう。
 確かに戦でないならば俺の望むところではないし、外出と言えど詰所仕事では鶴丸国永ですら退屈なんだろう。人を身代わりにして自分はしれっと逃げおおせるくらいだから(どうせ本人に伝えたところで「まったく人聞きが悪いなあ!伽羅坊が主と仲良くしたいだろうと思っての親切心だぜ?」などとわけのわからないことを言われそうなのは想像に難くないが)。


「は-、やっと今月終わった。月末にここ来ると達成感っていうか、やったった感あるよね」


 地上階行きのエレベーターに乗り込むと、審神者は手すりに寄りかかっていっそうだらけた顔をする。
 ね、と同意を求めるように顔を覗き込まれて、俺はそのまま視線を返す。自分からこっちに話しかけておきながら審神者は俺の相槌も反応もたいして気にしていないらしく、ほとんど動かさない俺の表情を気にも留めない。


「やることが多いっていうより待ち時間が長いのが嫌だよね。さっきのさあ、機密保全課なんか1時間待たされたのに呼ばれたと思ったら書類出してハンコ押して3分でハイ終わりって。ギャグだよギャグ」


 解き放たれたかのように審神者の口は動き続けた。珍しく正装したスーツの上着のボタンを外して、眉を下げて笑う。
 確かに散々待たされたかと思うと手続きは一瞬という部署が殆どで、こいつは毎月この無駄にすら見える事務手続きをやらされているのかと思うと気の毒にはなったが。待ち飽きた審神者に「暇だ、しりとりしようしりとり。ハイ『りんご』」と言われて「『御免』だ」と話を終わらせたことを謝るつもりはない。俺に弾む会話を求めるほうがお門違いだ。


***


 エントランスを抜けると、日暮れも近いだけあって外はもう涼しかった。昼間の湿気が嘘のようにからりとした風が俺と審神者の間を抜けていく。
 審神者はそれはもう晴れやかな顔をして、「さー帰ろ帰ろ。夕飯なんだろうね」と呟いた。ヒールのパンプスなんぞこれまた滅多に履かないから歩きにくいだのと零していた癖に、面倒事を終わらせた帰路となっては足取りすら浮かれているから、こいつのこの切り替えの速さには驚かされる。


「あ」


 と審神者が目を輝かせたのと、俺がそれに気が付いたのはほとんど同時だった。かと思うとぐんっと腰のあたりの衣服が後ろに引っ張られて、(おおよそ予想はつきながらも)何事かと首を横に動かすと隣に居た審神者が俺の上着の裾をがっしりと握っている。やめろの意を込めて立ち止まってやっても離される気配はなく、それどころか裾を掴んだまま左右にぶんぶんと大げさにはためかされる。やめろ。


「よせ」
「伽羅ちゃん!たい焼きだって」
「見ればわかる、離せ。伽羅ちゃんはやめろ」


 朝に来た時にはなかったが、これ見よがしに「き焼いた」と暖簾をつけた移動販売の車が庁舎からほどなくした所に停まっているのが見えた。周りには同じように甘味につられた他の審神者たちや刀剣たち、政府勤務の職員たちが何組かいて、それぞれに品書きの看板を物色したり買った品を堪能したりしている。たまたまなのか、俺と同じ刀は見当たらない。
 国の公務機関である政府庁舎ともなれば、建物も大きいが門前に構えた庭園広場も格別に大きく、各所に設置されたベンチでくつろぐ者や、万屋に併設した茶屋で茶を楽しむ者も少なくはないようだった。ほとんど巨大な神社の参道や境内と変わらないような前庭は、小さな屋台や移動販売車も時折現れるのだろう。景観にはしっかりと馴染んでいる。

 たっぷり3秒はかけて「き焼いた」を凝視した審神者は、帰路に向かっていた歩みを90度方向転換して甘い匂いに吸い寄せられていく。だから、いちいち切り替えが速い。

「…おい、夕餉前だぞ」後ろ姿に一応声をかける。
「ええ?食べないの?食べるでしょ。余裕だよ1個くらい」わかっていたが、審神者は首だけでこっちを一瞥するが足を止めない。

 呆れ半分諦め半分で様子を見ていると審神者はさっさと車の窓口に向かって行って、何やら熱心に品書きを凝視したかと思うと俺に手招きをした。するっと近寄ると窮屈そうな車内で背中を丸めていた店員と目が合って、「らっしゃい。お兄さんたち公務員?仕事大変だね」と愛想良く微笑まれて居心地が悪い。こういう時にどうするべきなのか、俺は知らない。
 そうっす、まあでも美味しそうなたい焼き屋さん見つけたんでラッキーですでへへ、みたいなことを返しながら審神者は嬉しそうに財布を開いた。


「伽羅ちゃんあんこ?カスタード?」
「…………あんこだ。伽羅ちゃんはよせ」
「よしきた、一口ちょうだいね。じゃおじさんあんことカスタード1個ずつで」


 まるで小動物のようににょほほと笑いながら審神者はさっさと会計を済ませ、両手で紙袋を受け取った。後ろ姿でも浮かれているのがわかる。


「はいこれ大倶利伽羅のあんこ。アツアツだよ」


 小分けにされて紙袋に包まれた甘い魚を受け取れば、たしかに温かい。隣からいただきます!の声がしてその元気さに目眩がしそうになるが、手の中の魚の香りが冷めないうちに食べろと言わんばかりに誘惑してくるので、俺も同じくいただきますの意を込めて魚と一瞬目を合わせたのち、頭からかぶりついた。審神者はやかましいがたい焼きに罪はない。


「あっつ!はふ!」
「……」
「はふ、ふ、ちょバカを見る顔すんのやめて!」


 自分から熱いと言っておきながらその熱さにやられて涙目になっている姿は、とうに元服も過ぎた働き盛りの公務員にしては情けなかった。その情けないつむじをじっと見下ろしていたら腰骨のあたりにささやかな肘打ちを食らったが、ちっとも痛くはない。

 なんなんだこいつは、と思う。審神者がちゃらんぽらんなのは今に始まったことではないが、一日中行動を共にすることなど近侍当番の日ですら殆どないので、俺は未だにどういう顔をするべきなのかわからなくなる。だいたい、たい焼き一つをこれほど喧しく食える人間を俺は何百年生きていて初めて見た。新種の生き物なんじゃないのかとすら思う。貞宗だってもう少し静かに食べるだろう、おそらくは。
 喧しいし、単純だし、そのくせ目ざとくてお節介だ。この新種の生き物は。こんなのに情が湧いてくる俺もどうかしてる。


「ん」
「ん?」
「口を開けろ」
「………えっ!くれるの」
「一口よこせと言ったのはあんただろう」
「素直にくれるとは思いませんでした」
「いらんならいい」
「いる!ごめん!いる!ちょうだい!あー大倶利伽羅はやっさしいなあ!!」
「喧しい、静かにしてくれ」


 大げさにまくし立てる口に半ば無理矢理たい焼きをつっこんでやったら嘘のように大人しくなったので、あんまり馬鹿らしくて笑えた。うっかりこいつの前で笑うとまた喧しくああだこうだと言われるのでなるべく表情を変えないままで、だが口からフッと息が零れた。くそ。慣れ合…って、いる。いつの間にか絆されてこいつのペースだ。
 一口かじり取ったたい焼きを真剣に堪能しているこの小娘は、常々元気いっぱいを装っている癖に本当はそれも装いで、その実は思慮深さや落ち着きみたいなものをきちんと持っているから厄介なのだ。多くの異形を率いて戦なんぞしなければならない立場がそうさせているのか、こいつが元々持つ性格なのかはわからないが。短刀には目を配り、脇差と共に気を遣い、打刀を前線に走らせ、太刀連中を従えて、大太刀や槍や薙刀を奮わんとし、剣を携えている。武人と呼ぶにも公務員と呼ぶにもちっともふさわしくない見た目で、誰のことも折らず失わずに戦果を上げ続けていた。へらへらした顔で菓子など買い食いしている姿がいっそ苛立つ程に、こいつは『審神者』なのだった。

 あんこ味をもしゃもしゃやっている間抜けな額に軽くチョップを落としたら「なんだよ」とまろっと笑われるから、もう俺にはどうすることもできない。


「あんこうまい、ありがと。やっぱりたい焼きはつぶあんに限るね」
「カスタードを頼んだ奴の台詞か」
「それはさっきの気分ってやつですよ大倶利伽羅さん」


 軽口を叩きながら見上げてくる瞳がのほほんとしているからやはりいらっとくるが、とにかくこいつは公務員然としているよりもこうやって呑気に甘い物でも食べているほうがよほどお似合いなのだとつくづく思う。この顔が曇る所はたしかに見ない方がいい。そういう未来ならそれはこいつのためにはならないんだろう。

 あんたは俺が守る、なんて台詞は取り巻いている他のやつらが吐けばいい。だが、こいつがいなければ俺は俺の形を保てない。どれだけ間抜け面でたい焼きを頬張っていようが、こいつが俺の審神者である以上は。


「カスタード一口いる?うまいよ。ほら」
「………ん」


 齧り取った甘さにため息が出そうになった。
 無理矢理させられたじゃんけんは負けた上に付き人仕事なんぞやらされてうんざりしかけたが、まあ、たい焼きは旨かったので鶴丸国永のことは許してやってもいい。今日だけは。



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