ごそ、とか、もぞ、とか、隣で何かが動く気配がして目を覚ました。閉じたままの瞼の外側はほんのりと明るくて、ああもう朝が来たのだとわかった。雀だろうか、遠くの方で鳥がちちちと可愛らしくさえずっている声なんかも聞こえてきて、眠っていた思考回路が至極ゆっくりと回りはじめる。今何時だろう、目覚ましはまだ鳴っていないみたいだけれど。昨夜は夜更かししてしまったからいつもより身体がだるい感じがして動くのも億劫だ。目を覚ましたら顔を洗って、歯を磨いて、朝ごはんのトーストには買ったばかりのレモンライムのジャムを乗せてみたいなとか、思う所は多々あるけれど、やっぱりもう少し眠っていたい。ふんわりと暖かな布団の中でとろとろとしたまどろみを感じてはその波に再び飲まれてしまいそうで、あと5分だけなら大丈夫かなあと考えながら、覚醒しきらない喉でううんと唸る。そう言えば、今隣で動いた気がするものは何だっけ。起きているのか眠っているのかわからない頭をめいいっぱい活用していると、ふいに腰のあたりをあたたかい何かがそっと触れた。やっぱりすぐ隣で何かが控えめに動いて、びっくりするくらい柔らかな温度で囁き声が私の耳に届いた。


「…起きたん?」


それはとろけそうなくらい甘い甘い響きで、そのくせ低く掠れていた。聴き慣れているはずなのにどきっとしてしまう声は、寝起きの耳にするりと染み込んで頭の奥をとろかしてしまう。ああそうか、彼だ、蔵ノ介だ。昨晩一緒になって夜更かしをして、くっつくようにしてこの狭いベッドで眠ったのだった。どうしようもないくらいに彼に愛されて酷使した身体はギシギシと音が鳴りそうなほどに重く、同じく散々声をあげてすり減らした喉もいつもの通りに動かない。「…クー、くら」ぽつぽつと彼の名を呼ぶ声はがらがらに低くて、ひどくかわいげのないものだった。それを聞いた彼が私の鼻のすぐ先でくすりと笑ったのがわかって、そうして腰のあたりに僅かな重みを伴ってたくましい腕が巻きついてきた。先程腰に触れたのは彼の腕であったらしい。彼に抱きしめられているのが嬉しくて、気恥ずかしさもあったけれど、それよりもいっぱいの幸福感がじわじわと私を胸から満たしていった。シャッターみたいに重い瞼はまだ自力で開けられなくて、瞳を閉じたままでもぞもぞと動いては目を覚ましたことを彼に伝達した。やはり身体は自分のものじゃないみたいに動かしづらくてちょっとだけ彼を恨めしくも思ったことはこの際黙っておく。それだって、結局は彼に与えられたものだ。彼を感じ尽くした結果だ。さすがに毎日では困りものだけれど、たまにはこんなのも悪くない。 彼自身も昨夜の行為を省みて思うところがあるのか、労るように優しく腰を抱いてくれる。きっとその茶色い瞳は甘く細められていて、寝起きだっていうのにパーフェクトな格好良さで私を見つめているのだ。そう思うと私は特別なものを独り占めしているみたいな気がしてますます嬉しくなった。

この甘ったるくて怠惰な朝に、やわらかな彼に、もっと浸っていたい。もう夢なのか現実なのかわからないくらいの半々の思考でそう思って、私も彼の腰のあたりに腕を伸ばして抱き枕にするみたいにして抱きついた。母親にすがる子供みたいに、と言っても間違いじゃないかもしれない。だって彼はそのくらい穏やかで、いつだって守られているみたいな気持ちになるのだ。私は彼にべたべたに甘えて依存してしまっているのかもしれなかった。でもそうだとすると彼も同じように私にべったりで、どうしようもなく互いに寄りかかっているのは明白だった。夏日のアイスクリームのような、パンケーキの上のメイプルシロップのような、蕩けそうなほどの思慕を私と彼は抱えていた。

彼の手が私の腰から離れて髪を梳きはじめたことで、私はようやく瞼を押し上げた。ぱちぱちと何度か瞬きをして瞳に涙の膜を薄くはれば、思ったよりも近くに彼の顔があることに少し驚いた。やはり彼は思った通りに私を見つめていて、私が目を開けたことにちょっとだけ驚いたような顔をした。髪を撫でていた手が頬にかかる髪をはらりとよけてくれて、綺麗なくちびるで「おはようさん、」と内緒話をするみたいに小さく紡ぐ。私はその陽に透けそうなミルクティブラウンの髪の色や衣服をまとわず剥き出しになった肩のラインに見とれて、ちょっと慌てておはようを告げた。枕に散らばるミルクティブラウンはあちこちにはねて寝癖になっていて、不格好なくせして格好良い彼はますます魅力的だった。彼の瞳には同じように寝癖だらけで冴えない顔の私が映っているはずで、そう思うと急にしゃっきり眼を覚まして身だしなみを整えたい衝動に駆られた。


「クー、寝癖ついてる」
「おまえもや」
「うん」
「…なんや、まだ眠いん?」


呂律まわってへん、と弱い力で頬っぺたを抓まれた。いひゃい、とそのままもごもごしゃべればおかしそうに彼が笑う。ちょっとだけむっとしてじと目で睨めつければ困ったように眉尻を下げられた。僅かに開いたカーテンの隙間から朝がやってきていて、ベッドの上にくっきりと切り取られた光の空間を生み出している。彼が身体を起こしたことでその光の切り絵はぐにゃりと波打ったように形を変えて、それに気を取られているとゆっくりと彼の唇が私の頬にふれた。あっという間に彼にきつく抱きすくめられて、今度は私が彼の抱き枕。お気に入りのぬいぐるみから離れない子供みたいにして彼は私を甘やかして、たくさんたくさんキスをする。そのキスのひとつひとつに「好きだよ」が込められているみたいな気持ちがして、「私も」「すき」「だいすき」と口づけられるたびに 彼にテレパシーを念ずる。それが伝わっているかどうかはわからないけれど、キスの合間にぶつかった瞳はとても愛しそうに揺らめいているから、どうしようもなく私は安心するのだ。ちゅっと音を立てて額にやわらかく押し当てられた唇の温度に、キャンディみたいな幸せが転がっていた。




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