「 拝啓 春暖の候いかがお過ごしですか?
と言っても、そちらはまだ寒いようですね。東京は4月に入って満開だった桜が少しずつ葉桜になりはじめています。緑に混じる薄紅色を見て、あなたと初めて会った頃を思い出しました。

ポエティックな話はさて置き、このたびは突然手紙が届いて届いて驚いていることでしょう。というか、エアメールを送ること自体が実は初めてなので、無事にあなたのもとへこの手紙が届いているといいな、と願っています。
先日、何気なく買い物をしていたら偶然あなたを特集した記事の載った雑誌を見つけたので、なんだか懐かしくなって手紙を書くことに決めました。相変わらず短絡的な行動だと言ってあなたは笑うだろうけど、せっかく書いたので受け取ってくださいね。その雑誌の見出しには「期待の星・手塚国光選手の素顔に迫る」とあって、何ページかあなたのインタビューが掲載されていました。久しぶりにあなたの顔を見た気がするけど、お変わりないようで良かったです。大きく変わったと言えば、髪型くらい?見慣れないオールバックヘアはちょっと衝撃でした。(笑)

その雑誌のことを不二にも話したら、不二もその雑誌を買ったそうです。「手塚の素顔に迫る、なんて面白い記事じゃない?」と言っていました。不二は面白半分で買ったのかもしれないけれど、わたしは単純に凄いな、と思いました。この流れで書くと信じてもらえなそうだけれど、本当に。中学の頃からずっとすごいすごいと思っていたけど、やっぱりあなたはすごい人です。あなたの活躍が海を越えて私たちの所にちゃんと聴こえてくるんだから。ボキャブラリーが少なくて「すごい」以外の形容の仕方がうまく思い付かなくってごめんなさい。ようはあなたのこと、とても尊敬してるよってことです。職場の皆に「私、手塚国光の同級生です!チームメイトでした!」って自慢したいくらい誇らしいと思っています。勿体ない気がするので言いませんが。

それで、その雑誌の話ついでに不二に聞いたら、やはりあなたは日本にいる知人には殆ど連絡を取っていないそうですね。勿論忙しいだろうし、逐一連絡をする必要はないのだけど、何というか、さみしいです。手紙なのでこの際はっきり言いますが、ちょっとだけ寂しいです。テニスの中継なんてこちらでは滅多に放送しないせいで、紙面やニュースでしかあなたを見る機会もありませんから。
なので気が向いた時でいいので、暇になったらメールでも寄越してください。年に1通でもかまいません、朝、起き抜けに「おはよう」だけでもいいですから。時差なんて気にしないでくださいね。当然、私宛じゃなくたって、それこそ不二とか大石でも。私たちは会おうと思えばいつでも会える距離にいますから、あなたからもしメールが来たら、その話を肴にして呑み会でもしようと企んでいます。いつかあなたが日本へ帰ってきたら一緒に呑みにでも行けたら嬉しいのだけど、なかなか難しいでしょうね。それでももし帰ってくる時は、やっぱり教えてくださいね。ぜひ青学OB会、やりましょう。


そうそう、そう言えばアメリカにいる越前も滅多に連絡をくれません。(まったく誰に似たんだか)
アメリカとかオーストラリアあたりを行ったり来たりしているのかと思ったのに、青春台駅でばったり会った時は本当に驚きました。ドッペルゲンガーか、越前の身に何かあって幽霊が会いに来たんじゃないかと疑ったくらい。もう1カ月近く前の話ですけど。まとまった時間が取れそうだったからスケジュールを調整して帰国したんですって。その時はお互い急いでいて大した話も出来ず仕舞いだったんですが、まあ相変わらずあの調子で元気そうでした。まだまだ心配は無用そうです。

そんなことはともかく、あなたや越前と言った青学テニス部のOBたちが活躍しているのは非常に喜ばしく、もう何年も昔のことだというのに、今でも時々あの中3の夏を思い出してしまいます。東京の桜がみんな緑になったら、今年もまたあの熱い夏の戦いが始まるんだとわくわくしてしまうのは、マネージャー病みたいなものですね。今年の夏は時間が作れたら久しぶりに青学に顔を出してみようかな、なんて思っています。菊丸や桃城なんかは喜んでついてくるだろうから。少し気が早いですが、実現したらまた手紙で報告しますね。

だから、これから時々手紙を書いて送ることくらいは許してくださいね。お忙しい身でしょうから、わざわざ筆を執っての返事はいりません。手紙を読むときに、私や日本にいる仲間のことを思い出してくれたらそれでかまいません。メールや電話も良いけれど、手書きの方が趣があるし、待っている間の楽しさも味わえるでしょう?何だったら肌身離さず持ち歩いてくれてもかまわないから、ね。
とにかく今回の発見は、ふとした時にぼんやりしながらあなたのことを思い浮かべて文章を推敲する時間が、私にとってとても愛おしい時間だとわかったことです。遠くで頑張っているあなたのことを思うと、私も負けてはいられないな、と思います。スケールは違いすぎるけれど、私は私なりに日本で頑張っています。あなたと同じ夢を追って戦った夏を誇りに思いながら、日本から、あなたの活躍を祈っています。

随分と長くなってしまいました。まだまだ書き足りないことがあるのですが、それはまたの機会に持ち越したいと思います。それまでにメール、してくださいね。
それではどうかお怪我などなさいませんよう、ご自愛くださいませ。  かしこ 」


…自室のソファに腰掛けてそれを読み切って、深い息と共に堪え切れない笑みが零れた。ある日突然郵便受けに窮屈そうに入っていたソレには懐かしい字で俺の住所と名前が書きこまれていた。そしてやはり懐かしい、差出人の名前。彼女の指摘の通りずいぶん長いこと連絡を取り合っていなかったのだが、しばらく前に「そっちの住所教えて」とそっけない一文だけのメールが届いたのは、どうやらこういうことだったらしい。突拍子もない彼女のことだ、思い立ったらすぐに行動したのだろう。その様子を頭の中で想像したら、懐かしさでやはり表情が柔らぐのが自分でわかった。いやに丁寧な文体なのが余計におかしくて、込み上げる笑いを奥歯でぐっと噛む。「こっちのほうがそれっぽくて雰囲気出るでしょ?」なんて意味もなく自慢げな声がすぐにでも聞こえてきそうだ。こちらの国では滅多に聞かないし見ることもない日本の言葉で羅列されたそれを、俺は何度もはじめから読み返す。ゆっくりと、味わうみたいに。丸みを帯びた文字は数年前に部誌に書きこまれていたものと同じで、頭の奥にしまい込んだ青い夏がすぐそばに蘇ってきたかのようにすら感じた。

いつもすぐ傍にいた彼女のことを、ぼんやりと思い出す。昔から俺のすることには文句の一つも言わずに、ただ黙って俺の背中を見つめていたのは、たった一人の女の子だった。中学の夏も、ドイツへ渡ると言った時も、プロ入りが決まった時も。何も言わずに受け止めてくれる彼女の存在はひどく居心地が良くて、おそらく無意識に彼女を苦しめたことも多々あったのだろう。それでもなお俺を後押ししてくれたのは、彼女の視線だった。何でもお見通しと言った表情で俺の心を容易くほぐし、そして静かに笑っていてくれた。それだけで何でも出来る気がしたのだ、本当に。遠く離れた今でさえもこうして心を傍へ並べてくれることが嬉しく、そして愛おしい。色褪せない彼女の姿がはっきりと瞼の裏に浮かんだ。


壁に掛けたアンティーク調の時計を目を細めて見遣れば、午後9時を少し過ぎたあたりを指している。日本は今、早朝だ。本当は今すぐにでも電話を鳴らしてやりたい気持ちを落ち着かせ、まだ眠っているだろう彼女へ届ける文章を推敲すべく携帯端末に手を伸ばす。買い換えたばかりでうまく使いこなせないのがもどかしい。らしくもなく弾む気持ちを隠して、慣れない手つきでメールの新規作成画面をタップする。タッチパネルで綴る「おはよう」を受信したとき、目を覚ました彼女は何と言って笑うだろうか。



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