目が覚めたら知らない天井だった。

ぼんやりする頭で寝返りを打ってみて、ベットの感覚がどうも自宅のソレではないことが分かる。どこだ、ここは?なにが起こっているのかもよくわからず、ううむと唸りながらも身体を起こしてみた。ら、びっくりするくらい身体がだるく、やはり頭もうまく働かない。ぱちぱちと瞬きをして、ようやくそこが自分ではない誰かの部屋であることに気がついた。適度な広さのワンルームで、内装はいたってシンプル。出窓には小さな鉢植えがいくつか並んでおり、別の窓際には観葉植物も置いてある。ベッドの傍には私の着ていたジャケットがご丁寧にもハンガーにかけられていて、ソファには私の鞄と携帯電話がちょこんと置かれていた。

そもそも私はどうしてここにいるんだっけ。確か私は飲み会に………、そこまで考えてはっとした。そうだ、飲み会。中学時代の部活の集まりがあって、それで安い居酒屋で思い出話に花を咲かせていたはずだ。昔は騒がしかった奴らもすっかり落ち着いて、銀髪だった仁王は黒髪になっていて、あの赤也がちょっとは気遣いなんか出来るようになって、それで。だんだんと頭がはっきりしてきたところで、ようやく壁の掛け時計が目に入った。時刻はちょうど日付が代わって少しした所。おかしい、私が最後に居酒屋で時計を見たのは3時間も前の話である。

その時玄関の方で鍵をあけるがちゃりという音がして、寝起きの頭にはよろしくないくらい驚愕した。おどおどしながら身構えれば、見知った顔と目が合う。


「ああ、起きたんだ」
「……え、ゆき、…え?」
「はは、大丈夫?覚えてないの?」


しれっとした表情で入ってきたのは幸村で、ということはこの部屋の主は幸村ということになる。ますますわけがわからない。混乱しながら彼の様子をぼーっと見つめていると、「まだ顔色が悪いね」なんて声をかけられた。その手には小さなビニール袋が握られていて、どうやらコンビニ帰りらしかった。私はその袋をがさがさ言わせながらペットボトル入りの水やら歯ブラシやらを出してはローテーブルに広げる彼を傍観するより他ない。


「あのー幸村さん」
「ん?」
「私どうしたの?なんで幸村ん家にいるの?」
「ほんとに覚えてないんだ」
「なにを?」
「酔った末に俺とイイコトし」
「それは嘘だ!なんか直感でわかる!それは嘘!!!」
「ちっ」
「!?」


笑顔でものすごいことを口走った彼は、やはり笑顔で舌打ちをひとつ。相変わらず適当なことを口走っては周りを困らせて、それを面白がるのだから性が悪い。昔からその歪んだ性格は変わっていないらしい。少しばかり伸びた身長も低くなった声も落ち着きを増した仕草も飲み屋で再会した時はちょっとだけどきっとしたというのに、根本的なところは何一つ変わっておらず、目の前にいるのは幸村精市だった。それでも私たち部員の思いを肩に乗せて君臨していた、部長だった頃の彼はもう面影程度しか残っていない。私たちは大人になって、懐かしい日々を思い出として糧にしながら、別々の道を生きていた。スーツを着て営業に精を出す者、大学に残って教授の道を歩み出す者、アパレル会社を経営する者、様々だった。マネージャーだった私も例外ではない。そうしてばらばらになった私たちが一堂に会することが出来たものだから、皆つい羽目をはずして盛り上がっていたのだ。久しぶりに見る懐かしい顔ぶれに、私も心なしかはしゃいでいたように思う。普段まったくと言っていいほどアルコールには耐性がなく、所謂下戸であるはずの私が、……私が?


「…私、飲んだの?」
「正確には飲まされた、かな。ブン太と仁王が調子にのったみたいで、俺が気付いたときにはもうほとんど意識がなかったんだよ。俺が声をかけたのも覚えてないだろ?」
「うん……よく生きてたね、私」
「本当にね。ああ、あの二人はきちんと叱っておいたから」


丸井、仁王、ご愁傷様。一番に被害を受けたのはおそらく私なのだろうけど、そう思わずにいられなかった。ソファに鞄と共に置かれている私のケータイのサブディスプレイがちかちか光っているのは、あの二人からの謝罪のメールを知らせているのだろう。

つまり、幸村は酔って体調を崩した(というか危うく死にかけた)私を介抱した挙句に、一番家が近いという理由で彼の自室であるこの部屋まで運んでくれたらしい。そうして私が眠っている間にコンビニへ駆け込んできた、ということらしかった。全てに合点がいったところで、私は幸村に小さく頭を下げる。「ありがとね、幸村」自身のジャケットを脱いでハンガーにかけるその背中に声をかけたけれど、いいよ、とか別に、とかそんな風な言葉で適当にあしらわれてしまった。なんだかんだ言ってこういう面倒見のいいところがあるから幸村はずるい。そのうえローテーブルに置いた水と歯ブラシを一瞥しながら、「それ、使っていいよ。化粧水とか最低限のものは妹が泊まりに来たときのがあるから大丈夫だと思うけど」なんて言うのだ。なんて言うか、慣れてるなあ…と失礼なことを思いながらも、ペットボトルに入ったボルヴィックをありがたく頂戴する。だるかった身体にひんやりとした水が吸い込まれてゆくみたいで、びっくりするくらい美味しく感じた。


「何から何までご迷惑かけます…」
「ふうん、じゃあ相応にお礼でもしてもらおうかな」
「ごめん前言撤回」
「却下」
「却下を却下で」
「聞こえないなあ」


ギシッとベットが鳴いて、片手と片膝をついて幸村がこちらへ身を乗り出す。どこか嬉しそうな顔をした彼にしまったと今更警戒心を抱いてみても、もう遅い。アルコールの匂いがほのかに香るのは、彼もいつも以上に飲んだということなのだろうか。大人っぽい雰囲気を携えた彼に、私たちはもう子供ではないのだと痛感した。


「俺以外にそんな無防備な姿、見せちゃだめだよ」


形のいい唇がそう囁いたかと思えば、あっという間に端正な顔が近づいてきて唇の真横に口づけられた。いたずらっ子のような表情で笑う彼は、今夜は少しばかり酔っているのかもしれない。ぺろりとかわいらしく舌なめずりをして離れてゆく顔をぼーっと見送って、ああもう逃げ道はないのだと悟った。なんだ、すっかり彼に捕まえられてしまった。身体を拘束されたわけでもなく、唇を奪われたわけでもない。それなのに私はもう彼にぐらりと傾いてしまったような気がして、釈然としないながらも火照った頬は正直だった。

「今日は我慢してあげるけど、次からは容赦しないよ」上機嫌でそう言う幸村はやっぱりずるいと思う。そんなこと言わなくたって、次を期待している私がもうここにいるのだから。




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