親が眠ったころを見計らって、そうっと家を出た。鍵を回すのにも最大の注意を払って、極力音を立てないようにして。そうしてまんまと家を抜け出すのを成功したことに気分を良くして無意識に歩くのが早くなる。多分、「ちょっとコンビニ」とか何とか言えば「あ、そう。いってらっしゃい」と何のお咎めもなく送り出してくれるだろうと思ったけれど。なんとなく、たまには普段しないことをしてみるのもいいものだ。親に告げずに夜更けに外を出歩いているなんて悪いことをしているみたいで、ちょっとだけどきどきする。買って間もないショートブーツの踵をかつかつ鳴らしながら夜道を歩いた。頬に触れる冷たさはすっかり冬の空気めいていて寂しさが沁みてゆく気分がした。

今夜は流星群が降るのだ。ずいぶん前からあちこちで耳にする話題のひとつだったけれど、昼休みに柳とその話題で盛り上がってしまえばもう頭の中はそれだけだった。どれくらいの規模でみられるのかはわからない。もしかしたら大したことはないかもしれない。それでもこんな夜更けに外出をするにはもってこいの口実だった。明日の朝は遅刻しないように気をつけなければと思いながら交差点を右折する。たしか明日の朝は風紀委員の服装チェックがある。寝坊はできない。そこまで考えたところで、ふいにポケットの中で震えるケータイに気がついて大げさに肩を揺らした。ろくにディスプレイも確認せずに通話ボタンを押してしまったけれど、大体予想はつく。こんな遅い時間にかけてくる非常識な人間なんてそう多くはないのだから。少なくとも私の知り合いでは1人くらいしかいない。


「……はい」
「やあ、もしもし?俺だけど」
「やっぱり」
「え?」
「何でもない」


おかしそうに笑う声は穏やかで、ああやっぱり非常識極まりないと頭の中で毒づいた。幸村は入院して以来、ちょくちょく夜中に電話をかけてくるようになった。私が眠っていて出られない時もあるのだけれど、それについては何も言わずに、また同じように私に電話をかけてくる。だから私はいつも夜になるとそわそわしながら眠るのだ。かかってきてほしい、それでもかかってこないでほしいと思いながら。話はしたい、けれど幸村が穏やかに眠れる夜が毎日続けばいいと思いながら。そんな私の思いを知ってか知らずか、幸村は普段と変わらない声で話し始める。


「今日は何の日か知ってる?」
「流星群?」
「そう。きっとなら起きて見るだろうと思って」
「うん、正解。柳もじゃないかな」
「だろうね」


キャッチボールみたいなテンポで続く会話を途切れさせることなく、近所の小さな公園の付近までを歩いた。この場所なら周りに建物が少ないから空も広く見えるだろう。頭上に広がる空を見遣れば申し訳程度に散りばめられた星がいくつかと、中途半端に欠けた月がそこにいた。街灯の明かりを頼ってふらふらと歩きながら、のっぺりした夜の中に不気味に光る自動販売機を見つけて歩み寄る。誰もいないのにひたすらに光り続ける機械はなんだか寂れて見えて、急にせつない気持ちになった。「今日は何色のパジャマ着てるの?」「なにそれ、その言い方セクハラみたいだよ」ふいに喉まで上がってきた寂しさをぐっと飲み込んで、わざと明るいトーンで会話をずらしてみたりする。

ぴぴっ、がしゃん。音のない辺り一帯に自動販売機の騒がしい音が無遠慮に響いて、誰に怒られるわけでもないのになんだか申し訳ない気分になった。すこし熱すぎるココアの缶を取り出して、カーディガンの袖口をだらしなく伸ばしてそれを包むようにして冷えた手を温める。120円分のぬくもりが私の手をじわじわと熱くした。


「…きみ、今どこにいるの?」
「外だよ。散歩してる」
「やっぱり」
「あはは!」
「あはは、じゃない。こんな時間に一人で外出して何かあったらどうする気だい?」
「だって家からじゃよく見えないから」
「本当に……馬鹿だな、きみは」
「心外だなあ」


夜の凛とした空気を吸い込みながら「でもやっぱり寒いね」と言えば、電波越しに「当たり前だろ」とぴしゃり。きっと呆れた顔をしているに違いない。そんな幸村の顔がすぐに思い浮かんで笑みがこぼれた。
公園のひんやりした遊具に腰掛けながら、太ももで缶を挟んで片手でプルタブを開ける。ふんわり香ってくるココアの甘い香りにささやかな幸せを感じながら、少し長く伸びすぎた自分の爪に気がついた。これでは風紀委員の検査で駄目だしをくらってしまう。帰ったら切ってしまおう。丸みを帯びた爪の先を親指でゆるりと撫でる。

「いま何時?」「ちょっと待って。…もうすぐ1時になる」「そろそろだね」ケータイのディスプレイはあと数分で1時になることを告げている。温くなってきたココアをひとくちずつ味わいながら落ち着かない気持ちで空を見上げた。日本中の多くのひとが、同じように空を見上げているのだろうか。何かを祈るような気持ちで。何度か瞬きをしたその時、白い光が空に零れ落ちた気がした。


「………降ってきた」


ひっそりとした声でぽつりとつぶやいた声は電波に乗って彼の元へ届いたらしい。少し興奮気味の私はケータイをぎゅっと強く握る。


「……星?」
「うん、」


緩やかに降りてきた光の糸を目の当たりにして、黙って息をひそめた。最初の星は遠くの空で光り、あとはもう矢継ぎ早に降りてきた。もう瞬きすることも忘れるくらいにその光景に魅了され、私は上手く言葉を紡げなくなる。きれい。そう言うのが精いっぱいだった。藍色の天井から競い合うように降り注ぐ光の矢は怖くなるくらい綺麗だったのだ。途切れることなく降りてくる星たちは月よりも遥かに煌々と輝いて夜空を照らし続ける。


「あ、あれかな」
「え?」
「こっちにも見えてるかもしれない。窓の端に見えるの、そうだと思う」
「本当?」
「うん」


すごいな。
幸村はそう言って、二人でしばらく黙り込んだ。あの病院の寂しい電話ボックスの傍で、蛍光灯の青白い光を浴びて、幸村もこの星を見ている。そう考えたら何故だか涙が出そうになって慌てて残りのココアを一気に飲み干した。甘すぎる風味が喉を下るのと一緒に寂しさも仕舞い込んで、あとは必死で降ってくる星たちを目に焼き付けた。見えた、見えるよ。内緒話をするみたいな小さな声でそう言い合って、最後の一つがすっと消える瞬間を二人でひたすらに待った。私たちは今同じものを見ているのだ。電波の糸でお互いを繋いで、遠くの空で。すぐ近くに幸村がいるみたいな感じがして、時間が止まればいいと、静かに思った。




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