私の目はその雑誌にくぎ付けだった。ふらりと訪れたコンビニの雑誌コーナーには他に一人の男の人がジャンプを立ち読みしているくらいで、私もなんとなく目にとまった雑誌を開いてみただけだったのだけれど、これが予想外におもしろい。おもしろいというか、やはり私も女の子の端くれだったらしく、つい時間を割いてファッション雑誌を熟読する習性にあるらしかった。なかでも私の気を引いたのはでかでかと表紙に書かれた「夏までにマスター!着痩せテク」という見出しで、女の子なら誰しも注目するだろうそのフレーズに私も例外なく惹かれ、結局は熱心に立ち読みに勤しんでしまった。半分ほど読んだところでようやく一息ついて、雑誌の値段を確認する。そんなに高いというわけでもない値段だったので、これを買って残りはゆっくり帰宅して読もう、そうだそうしようと決心して顔を上げた。


「!」


ばちり。目が合ったのはガラス越しで、無表情な黒い瞳は熱心に雑誌を読み漁る私をずっと眺めていたらしい。なんたる視姦、羞恥プレイ。かあっと顔が赤くなるのがわかって、慌てて雑誌をぎゅっと抱きしめた。私と目が合ったことに満足したのか彼はにやりと意地悪く笑い、自動ドアをくぐりぬけてこちらへとやってくる。覇気のない店員のお兄さんの「いらっしゃいませー」が空しく響いた。


「ざざざざ財前くん!」
「なに熱心に立ち読みしてんねん、
「だって…!ていうか家こっちなの!?」
「慌てすぎやろ」


誰のせいだ、咄嗟にそう思った。時間も時間なので彼の恰好はいつもの制服姿ではもちろんなくって、細身のジーンズにTシャツというラフな格好。それなのにこんなにかっこよく見えるのは何故なのだろう。耳元にきらりと光るピアスはいつも通りきっちり5つの輪っかが揺れていて、首元にひっかけられたヘッドフォンはかなり音質のいいものなんだろうと見て取れる。一方の私はどうだ、適当な格好にもほどがある。ご近所用の安っぽいサンダルで、ロンTで、ショートパンツで。大根の如くたくましい足をこれでもかと晒しておきながら「夏までにマスター!着痩せテク」だなんてどういうことかと自分を叱責しながら、彼にこんなだらしない姿を見られたショックで頭がいっぱいだった。まさか彼がご近所さんだなんて、まさか最寄のコンビニで遭遇するなんて、誰が予想するだろうか。慌てるなというほうが難しい。


「何してん、こんな時間に」
「立ち読み……じゃなかった、おつかい。牛乳買いに」
「主旨変わっとるやん」
「うるさい!…財前くんは?」
「…兄貴のパシリや」
「ぶっ、かわいい…!」
「うっさいわ」


学校ではクールな財前くんがお兄さんに頼まれてわざわざコンビニまで足を運んでいる。その事実がなんだかおかしくて、ちょっと照れたように吐き捨てる彼がとても身近な存在に思えた。雑誌を抱えた私はそのまま彼の後をついて、彼が立ち止まったドリンクコーナーでお目当ての牛乳を手にする。傍にあったカゴを手にとって、ついでに目に入ったリプトンのミルクティのパックもちゃっかりそこへ入れて。彼のほうは手にしたカゴの中に炭酸飲料を2本入れて、それからレジへ向かう途中のスイーツコーナーで意外にもぴったりと足を止めた。


「……ぜんざい、好きなの?」
「悪いんか」
「かわいい、ていうか意外!」
「あーもう黙れや…!」


最後の方はもう消えかかりながらも、その手にはしっかり「納涼・冷やしぜんざい」と書かれたパッケージが収まっていた。財前さんぜんざいお買い上げです。しょうもないことを考えながらも彼の意外な一面を知った気がして、内心ちょっと浮かれてしまった。ぜんざい、好きなんだ。頭の中でもう一度しっかりとリピートすると、やはり財前くんがかわいらしい人に思われた。教室では男友達を適当にあしらっていたり一人で音楽を聴いていたりとクールでかっこいい姿ばかり見ていたけれど、そうだよね、いろんな面があって然るべきなんだよねと妙に納得した。なんだか勝手に彼に親近感がわいたような感じがしてほくそ笑むと、「馬鹿にしとんのか」と小さく頭を小突かれてまた慌てた。


***


コンビニの店員さんのやる気なさげな「ありがとうございましたー」を聞いて外に出ると、私がやってきた時よりも随分と空の色が濃くなっていることに気がついた。どうやらけっこうな時間を立ち読みに費やしていたらしい。ガサガサと揺れるコンビニ袋を二人分揺らしながら、狭い駐車場をゆるいペースで並んで歩く。そんなに仲がいいわけでもないのに財前くんと肩を並べている自分が、なんだか夢のようだった。

私の家はここからそう遠くなく、ゆっくり歩いても10分かそこらで到着するだろうという距離だ。彼の家はどちらの方向でどれほどの距離か知るよしもないけれど、もしかしたらまたこのコンビニで会えるだろうかなんて乙女チックに淡い期待を抱く。せめてその時までには「着痩せテク」なるものをマスターして、もうちょっとかわいらしい服を着ていたいなあと思うけれど。街灯がちかちかしている三叉路に差し掛かったところで「じゃあ、私こっちだから」と告げて歩き出そうとすれば、彼は何も言わずにそのまま私の隣を並んで歩いた。不思議に思って彼の顔を見上げる。薄暗い街灯のせいでよく見えなかったけれどいつも通りのポーカーフェイスで、それでもちょっとだけ恥ずかしそうな顔をして、小さく一言、ぼそり。


「…送るわ」
「えっ」
「けっこう暗いし、黙って送られとけ」
「う、ええええっ!」
「せやから慌てすぎ」


だって、あの財前くんが、送ってくれるだなんて。小馬鹿にするように小さく笑った表情が案外子供っぽくて更に驚いた。おもわず「いいよ、悪いよ」なんていうタイミングすら逃してしまい、結局並んで歩きながら進むのは私の家の方向だった。夢みたいな状況にさらに夢みたいな状況を塗り重ねたような気がして、なんだかうまく会話が続かない。もともと彼はよく話す方ではないことも相俟って、どうしていいかわからない沈黙がずっと続いてしまう。穏やかなペースで隣を歩いてくれる彼をちらりと盗み見れば、今更ながらその整った横顔にどきんとした。漆黒の髪は夜空に溶けてしまいそうで、耳たぶで鈍く色づくピアスは夜空の星のようだった。時折そのピアスをかつかつといじる彼の左手にはうっすらと日焼けのあとがついていて、テニスコートでひたすらに駆け回る普段の彼を連想させた。そんな様子を眺めてはますます夢みたいな光景だ、と思う。

「…いいの?お兄さんのおつかい」「ちょっとくらい遅くなってもええやろ、べつに」「そっか」沈黙の間に申し訳程度の会話を挟んで、角を曲がるともうすぐのところに私の家が見えてくる。ここでいいと告げると、彼は小さな声で「ん」と頷いた。こんなに10分足らずの時間が長く感じられたのははじめての経験で、いつもの帰り道を歩いただけなのに大冒険をしたみたいに思えてくる。たいした会話はしていないのに隣に歩く彼は以前よりずっと近しい存在に思えて、勘違いかもしれないけれど私にはそれがとても嬉しかった。買ったばかりのファッション雑誌の続きを読むことも、それと一緒にミルクティを飲むことも、楽しみにしていたことは彼との時間で全部一気に塗り替えられてしまった。今夜はゆっくり眠れるだろうか。


「財前くん、ありがとう」


なんだか高揚する気持ちを抑えて、慌てながら早口でそう言った。思った通りに「ん」と頷かれて、どうやらその「ん」というのは彼の癖なのだとわかった。肯定する時、返事をする時、小さな声で彼はそう言う。そんななんでもないことを知れたことでもまた気持ちはぐんと高まって、はにかんだ笑みがつい零れた。つられたように彼もちょっとだけ笑って赤い顔で「ほな、また明日」と言って踵を返すものだから、ときめいてしまってどうしようもなかった。




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