ああもう、どうしてこうなったんだっけ。


「ぁ、っ……!」


無意識に唇から溢れた声は微かないやらしさを孕んでいて、はっとして手で口を覆った。小さく響いたその声は彼の耳にも届いたのだろう、顔はよく見えないけれど艶やかな黒髪がふっと笑ったのが雰囲気で分かってますます恥ずかしくなる。誰のせいでこんなことになっていると思ってるんだと恨めしい気持ちになるけれど、そんなの気にも止めていないみたいに彼は行為を続ける。至極楽しそうに。


「ね、光、やめ」
「ないっすわ」
「…ですよねー」


些細な攻防の間にもちゅっ、と小さな音がして、また彼の唇が触れる。先刻から何度もそれを繰り返されて、そろそろ恥ずかしさで卒倒しそうだった。なんだって、彼は私の足なんかに口づけているのか。

執拗に足の指や甲に口づける彼を上から見下ろすのは言いようもなく不思議な光景で、なんだかいけないことをしている気持ちになった。真昼間には不似合いなくらいの甘やかな空気が室内を、いや、私と彼を包み始めて、恥ずかしい筈なのにこのまま流されてしまいそうになる。そのくらい、彼の唇は誘惑的だ。少しカサついた唇が、やわらかく私の足を愛撫する。ぐい、と足を持ち上げられてその裏側に口づけられた時、「はぁ…っ」と息が漏れてしまう。まずい、と思った時にはもう遅く、にやりと意地の悪い笑みと共に「感じてんすか」なんて揶揄される。ぎらりとした瞳が長い前髪の隙間からこちらを見上げていて、なんだか猫みたいだなと思った。そんなかわいらしいことを思っていても、結局その瞳の奥の欲望の欠片がはっきりと読み取れてしまう。なんて図太い雄猫だ、自分がほしいものをもらう手段をちゃんとわかっているのだから。それでもこのまま彼の思い通りになるのは悔しくって、恥ずかしくって、きゅっと唇を噛んで牽制するような視線を送ってみる。それだって余裕で交わされているような気がして釈然としないけれど。


「感じてなんか、」
「へえ」


言うが早いか、ぱくっと親指を咥えられてまたしても情けない声が漏れるところだった。そのまま親指のあたりを彼の舌がぬるりと這って、ぞくぞくした感覚が背筋を昇ってゆく。声は出さないまでも、私が大げさに身体を揺らして反応したことで彼は気分を良くしたらしい。それこそ猫のようにぴちゃりと音を立てながらしつこく舌や唇を押しつけてくる。彼の唇の隙間から濃いグラデーションのネイルを乗せた私の爪がちらちらと見えて、扇情的な光景に顔が熱くなって仕方がない。追い打ちをかけるように爪と指の間を舌が行き来して、そのうえ彼の指が私の足の指の股をいやらしく撫で上げるものだからもうたまらない。なけなしの理性で築いたもろい壁などすっかり崩れてしまって、あっけなく唇を割る結果となってしまった。

「やっ…ん、」一度声を零してしまえばもう歯止めが効かなくて、彼の唇や舌に合わせてあられもない声が溢れ続ける。足先から始まった愛撫はだんだんとくるぶしやふくらはぎへと昇ってきて、じわじわと私を侵食してゆく。わざとらしくリップノイズを立てる彼の唇が恨めしい。薄いその唇から覗くやわらかな舌が、つう…と膝下のあたりを舐め上げて、その温度にまたぞくりとする。その行為は早く白旗を上げろと促しているように感じられて、どうしようもなくなって弱弱しく彼を呼んだ。「……ひかる」その声は自分で思ったよりずっと舌足らずに快感を訴えていて、それは彼にもしかと伝わったようだった。ふいに顔を上げた彼は堪え切れないというようにくつくつと喉の奥で笑って、最後にもうひとつだけちゅっと膝小僧にキスを落とした。


「笑うことないでしょ…!」
「やってさん、かわいすぎ」
「!」


滅多に言わない殺し文句を吐いたかと思えばゆっくりと私の足元を離れて、小さく舌なめずりをひとつ。さっきまで散々私の足に好き放題キスしていたその唇に目が釘付けになってしまい、そんなこともお見通しな彼は意地悪く笑う。


「次はどこにしてほしいっすか」


隠しもしない欲望をぎらぎらさせて言うその強かさは呆れてしまうほどで、最後の抵抗とでも言うように「そっちがどこにキスしたい、の間違いでしょ」と返した。ふっと笑った彼はテニスコートにいるときみたいに好戦的な顔をして、今度こそ私をやわらかく押し倒した。ベッドに腰掛けていた私はなんの衝撃もなく後ろへ寝転んで、彼の匂いでいっぱいのシーツに沈む。ゆっくりと彼の顔が近付いてきて、額、鼻、頬と順番に口づけられるのを瞳を閉じて受け入れる。そこには微かな気恥ずかしさこそあるものの、理性の壁や抵抗など一切なく、彼の誘惑に組み伏せられた私だけが存在していた。中途半端に熱を持たされた身体はもう限界で、輪郭を描き始めた快感が静かに波打っている。


「ほな、好きなだけさせてもらいますわ」
「…ばか」
「はいはい」


ええから大人しくキスされとってください。
唇が触れそうな数センチの距離でそう言われれば、もう黙るしかない。やっと望んだ餌にありつけた猫みたいな彼につま先からてっぺんまで食べられて、噛みついた痕みたいなキスマークを身体じゅうに貼り付けるより他はないのだ。




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